一緒に登ろう

思うこと

朝…

起きると習慣になっていることがあります。

ブログに貼る為にフリーの素材サイトを見ることです。
そのサイトに空と入れると何万枚も出てきて

あ~キレイな青空やなぁとか雲の流れを見たりあれこれ辿っていくと世界の空が出てきます。

そしてここはどこやろ…とクリックしてみると行ったことのない外国のお城とかお寺とか。
その外国の空からまた検索窓にあれこれ思いつく言葉を入れると旅が出来てしまいます。

アイキャッチ画像..
ご存じだと思いますがブログのタイトルの下に出てくる画像ですね。
それを選ぶときはブログに関連するような空を選んでいます。

こだわりとしてはいくらキレイな景色だったとしても必ずが写ってること。

そのアイキャッチ画像を選ぶのも好きですがそのフリー素材のサイトの中で旅をしている気持ちになります。

朝起きたての少しの時間の楽しみです。
クロワッサンとカフェオレにフルーツ….
今日の卵はどうしようかな。スクランブルにも飽きたしサニーサイドアップにしよう。
おしゃれな朝食を食べながら世界の空を見ながらほんのりひと時の時間を…..



ごめんなさい嘘です。
たまかけ納豆ご飯と漬物をPCデスクの上で食べながら手についた納豆のネバネバに焦りながらわたしの朝が始まります。




両親のこと

冬にスノボ旅行に行った時。
父の誕生日が近かったこともありご飯の時に


わたし
わたし

乾杯しよーぜ

そしておめでとう~と言いながら3人でそれぞれお酒を飲み始めました。


わたし
わたし

いくつになったん?

父

もう77や

わたし
わたし

もう77かぁ…

ホントに月日の経つのって早いですよね。
父と知り合って何年だろう…
そう思いながら血も繋がってないのにわたしとボンをホントの娘と孫のように接してくれる父にはいつも感謝をしています。

うーん。
うーん。
何年前なんだろうと記憶もさっぱりで少しづつさかのぼってみると

わたしが28歳ぐらい?
となると今から….引き算が出来ないので電卓で62から28を引いてみると34年でした。
父が77と言うことでこれまた引いてみると43歳。

うわ~43歳の男性と言うと現役バリバリですよね。
その現役バリバリの会社員さんが母と出会って登場したわたしと妹。

そしてその時母は?
いくつからいくつ引いたらいいのかわからないので省略しますが多分父とは3~5ぐらい離れていたような。

お付き合いをしている女性に子供がいる。
まぁそれなりの年齢なので実子の妹はともかく母とわたしは血が繋がっておらず現れた派手な姉ちゃんにさぞかしびっくりして….そして母とは一回りしか離れてないこともさらに驚いたと思います。


そんな父と母とわたしでホントにあちこち遊びに行きました。

冬のスノボに夏のウィンドサーフィン。
合間にはバーベキューだのアウトドアが好きな父はわたしを連れ出してくれました。

初対面は東京駅でした。
妹の家に行くときに待ち合わせをして東京駅で待ってると向こうから歩いてくる二人。
まだなにも会話もしてないのにわたしは一瞬で父のことが好きになりました。

初めまして~の挨拶も適当にして母に


わたし
わたし

いい人と出会えたな~

母

お姉ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわ

まだちゃんとした会話もしてないのに一瞬で人を好きになることにびっくりしつつそこから34年です。


その後二人はちゃんと入籍をして結婚をするわけですが母のようなお姫様と生涯を共にすることに不安はなかったのでしょうか。

父はどうして結婚とかしてなかったんでしょう。
想像すると独身でスポーツをたくさんしていて自由気ままに遊べるから….
きっとそう。

それが母と出会って付き合うようになってほっとけないタイプの母を自分がいないと…と思ってくれたのではないかと…


そして母に付随している環境もなにもかもを背負ってくれたんだと思っています。


母は田舎の貧しい家庭の出身でした。
食べるものもなかったと言っていました。
中学を出て就職…そして数年経った頃にわたしの実父と出会い純朴だった母はコロリと騙され結婚をしました。
その時19歳。
わたしは親戚の家に預けられていて事情があり実父の元に返されることになりました。

独身と聞いていた相手に実は子供がいた。
しかしもう結婚をすると言う時期だったので今更子供が現れても引き戻せない…

どんな気持ちだったんでしょうね。

いきなり小学3年生の娘と暮らすって。

それでも嫌だと言う意見など通ることもなく新婚から娘がいてそしてすぐ妹が産まれました。

たくさんの親戚がいて姑も…
わたしのおばあちゃんですがその姑もキツイ性格の人でした。
そして実父の凄まじい暴力や暴言 小学生の反抗期 産まれたての赤ちゃんの面倒。

あの頃に戻れるのならもっと母のお手伝いをしてあげれば良かった。
今でも後悔しています。

そんな母が楽しいことなど知らず趣味が持てるはずもなくましてスポーツなんてしたこともなく。
今やっと計算が出来ました。
父と母が結婚したのは母が40歳の時ですね。

その40歳から母の第二人生が始まったことになります。
そこからの34年は苦労した分お姫様になって今幸せに暮らしています。

何もしてこなかった分を取り戻すかのように….

父がたくさんのことを母に教えてくれて二人でゴルフに行ったり旅に出たりしています。
わたしが独身の時はわたしを連れてあちこちに。
そしてボンが産まれるとボンを連れてあちこちに…

節目節目の時には必ず来てくれる父。
運動会 野球の試合 いつも車を飛ばしてきてくれました。

いつもボンが言います。
この世で一番好きな人がじいちゃんだと。

誰からも好かれるそんな人の娘にしてくれてありがとうと感謝しています。

喜寿

2月のスノボ旅行の時。
乾杯をして77歳か~と年を取っている父にびっくりしながらなにも気がつかずご飯を食べていました。

元気でいてや~と笑っているとふと



わたし
わたし

77ってなんかめでたいんちゃうん

父

世間では喜寿とか言うな~

うわぁ…
しまった。

まったく気がつきませんでした。
おめでたいことなのにただの誕生日だと思ってスキー場のホテルでふつーに乾杯だとか。

うわぁ….

どうして気がつかなかったんだろうと焦りました。

還暦の時は結構盛大にお祝いをしましたがおめでたい節目に気がつかず部屋に戻って改めて調べてみると77歳は喜寿。

普段ボンの節目の時にあれこれしてくれてる両親に申し訳ない気持ちで一杯になり大阪に帰るとすぐに喜寿のお祝いはなにがいいかなぁと考えました。

たまーにほんとにたまーにですが両親に旅行をプレゼントしています。
父の日や母の日の小さなプレゼントはしていてもしてもらった大きなことにはなんも返せていない。
それを想うと数年に1度旅行でも~と予約をするのですが今回は喜寿と言うおめでたいもの。

遅れてしまいごめんなさい。


しょんぼりしながらホテルの支配人に電話を入れて喜寿と言う節目なので出来る限りのサービスなんかつけてもらえませんか?


支配人
支配人

紫のちゃんちゃんことかどうでしょう

わたし
わたし

それ嬉しいですね~

そして



わたし
わたし

他には?

非常に厚かましくも他にもお願いをするとワインだのつけて頂けることになりました。

大阪人言ったもん勝ちです。


紫のちゃんちゃんこを着て写真を撮って送ってくれることを楽しみにして…

そして後何年一緒にどこかに行けるかはわかりませんが心から長生きして欲しいなぁと思っています。


富士山に

ずっと前に山登りにハマっていた両親。

そんな頃



父

山登りいかへんか?

わたし
わたし

山? いけへんいけへん

父

登ったら気持ちいいぞ~

わたし
わたし

頂上まで車で行くならいく

父

登るから気持ちいいんや

山登りとかまったくもってごめんです。
何しに登るのが嬉しいのかさっぱりわかりません。

でも….

一緒にいて楽しい父が言うのならきっとそれはすごく嬉しいことなのでは?

いかへーんと断言していましたが今日の朝はあちこちの山をフリーサイトで見ていました。

父が元気なうちに…
歩けるうちに…

目標は大きくフリーサイトで見つけた山に。



杖いるんですよね?
筋トレもしておかないといけないなぁ…



ブログを見ていない父ですがこの場を借りて…..
誠におめでとうございます。
いつまでも長生きしてください。


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