永遠のお姫様

日常

2月の末に….

恒例となっているスノボ旅行に両親と行ってまいりました。

ホントは2月の始めに予約を取っていましたが寒波&寒波で予約が伸び伸びになり約1か月ずれての旅行でした。

ここ6~7年ぐらい?
どこにも雪がなくて長野まで飛んでいましたが今年は10年に1度の大雪とかで予約を取る時に岐阜でも大丈夫やろな~と好きなスキー場を1月に予約をいれて….

楽しみにしている旅行なので日々の激務もがんばろう~と支えにして夜勤明けで睡魔と戦いながら大阪からまずは名古屋に向かいました。


慣例のスーパー銭湯

名古屋→岐阜なので2時間ぐらいでついてしまいます。
そこでわたし達は毎回スーパー銭湯でゴロゴロしながらご飯を食べたり仮眠をしたりして閉店の深夜2時頃に出発をします。

わたしはお風呂なんぞ体がキレイになればいいと言うタイプなので大体15分ぐらいで外に出てきますが母はお風呂が大好きで何時間でも入ってられるとこの時も4時間ぐらいお風呂に入っていました。

入る前にご飯を食べながら


わたし
わたし

一体お風呂で何してるん

そう聞くと


母

色んなお風呂に浸かってぼぉぼぉしてる

トンテキ定食とかを爆食いしながら言う母。

今年で74歳になります。
わたしと1周り違いですがもう74かぁ….
と母の過ごしてきた年月を振り返り元気でいて欲しいなぁと毎回言うのが


わたし
わたし

ベッドの中で韓国ドラマを10時間も見てると足動かへんで

父

言っても聞かへん

こちらは父で今年77歳になりました。

ここでふと気がつくと思いますがわたしと母が一回りしか年が違わない…
この理由はまたいずれ書くことがあると思いますので今は割愛していきたいと思います。


とにかく1日中ベッドの中で寝ながら韓国ドラマをひたすら見てる…
家事は一切父がしているようで作ってもらったご飯を食べたらまた2階にあがりテレビばかり見ている母。

それで言うんですね足が動かないから辞めろと….
実際に膝も悪くなってサポーターだのシップだの他力で自分からの行動は一切することがありません。

先日。
ボンがマミちゃんを連れて名古屋に挨拶に行った時にもボンが

ボン
ボン

ばあちゃん少しでいいから足動かさんと歩けなくなるで

そう言っても言い訳ばかりしてドラマを辞める気配もない母でした。


名古屋から帰って来たボンにばあちゃんの具合どうだった?と聞くと

ボン
ボン

あの足はもう無理やろな~

わたし
わたし

そうやろなぁ…まったく筋肉つける気配ないしな

言っても言っても聞く気配のない母ですが孫がわざわざ名古屋までお嫁さん連れて会いに行ったことが嬉しくて大はしゃぎをしていたそうです。

そして全員で写真を撮ってきて見せてもらいました。


もうすぐひぃおばあちゃんになるんやで。
赤ちゃん抱っこせなあかんのに膝が悪いとか…

韓国ドラマも見たいでしょうが歩くとか軽い筋トレとか言っても言ってもやらないので仕方がありませんね。



娘に負けたくない?

去年5人で長野に行った時には母はかなりの膝の痛みがあり1本滑って休憩をしていました。

今年もダメだろうなぁと思っていたのでスマホにゲームを入れてのんびり過ごしてもらおうと思っていましたが
なにやら張り切ってる様子。

8時から動くリフトなのにもう滑ってる人がたくさんいました。
それを見てウェアに着替えだすと途端に言い出すいつものセリフ….

母

あれ~ここに入れてた〇〇がない~ない~

わたし
わたし

入れてたんならあるやろ

あれ~
ないわぁ~あれ~

を繰り返して

母

手で持ってたわ

わたし
わたし

オイ

ホントに6人兄弟の長女とは信じられないぐらいのお姫様気質で何でも人がしてくれると…いや自分でする概念がないんですね。
ウェアのことから持って行く物まで全て父に頼り切って自分はのほほーんともう滑る気合満々でした。

準備に時間がかかったわたしに

母

アンタはいつも遅いねん

わたし
わたし

ちゃうやん ないない言うから探してたんやろ

朝一の雪質いい時に滑ろ~


とリフト券を父に入れてもらってワイワイしている母に


わたし
わたし

そのリフト券 ホテルまで取りに行ったのわたしやからな

母

へ~

とまぁ全てがこんな調子です。

頂上では記念撮影をし

キティーちゃんの板もまだまだ現役でした。

父はここ数年足が不安~と言うことでスキーにしていましたが過去はアルペンと言う形のスノボの板でバンバン滑っていたんですよ。
60代でもスピードを出して直滑降もまったく平気でスイスイでした。

ゴルフもしており健康にはかなり意識をしている父なので心配はありませんがなんと言ってもお姫様の母。
1本目滑り終わって大丈夫?と聞くわたしに

母

うーん ちょっと痛いかも

でしょうね。
去年もう無理だったので今年からは滑れないだろうなと思っていましたが気力振り絞って2本目も行くとか言い出したのです。

無理しなやと言いつつ山頂からの景色を見ながらこの景色が見たいために1年頑張って働いています。


わたし
わたし

景色も見れたし降りて休憩しよう

すると….

母

膝の痛みがなくなってきた また行く~

わたし
わたし

大丈夫なん

父に聞くと普段は痛い痛いとすぐ甘えるクセに今日は姉ちゃんがいるから負けたくないんやろなと言っていました。
ちなみに妹がいるのでわたしは姉ちゃんと呼ばれています。

負けたくないとか…..
どんな戦いやねん。

そう思いながらも痛みがないことでまたリフトに乗って上まで行けることが嬉しかったです。



わたしがスノボを始めたのは30才手前でした。
スポーツとか縁のないわたしに父が家族全員で出来るなにかをしようと提案してくれて両親と妹とわたしでスノボを始めました。

元々父はスポーツマンで独身時代はあらゆるスポーツをしていたそうです。
母と結婚をしてそれこそスポーツとかしたことなかった母を地道にコツコツ教えて二人で楽しんでいました。
そこに娘達ともなにか出来ないかと思ってくれたんですね。

父と母はわたし達姉妹に教える前にスノボを先に練習をしていたようです。
そして初めてのスノボ….
夜の街にしか出没していなかったわたしは


わたし
わたし

ぎゃーっ寒い しかも怖い

なにしにこんな寒いところに来てスノボとかしないといけないんだろう….

そうは言っても妹も同時に始めたのでこの子には負けたくない。
んでもってこの母が出来ていることにわたしが出来ないことなんてない。

ほくそ笑みながらスノボが始まりました。

しかし。
あれからの30数年…
母には勝てません。


フォームもスピードも母には最後まで勝てませんでした。

でしたってもう終わりのような言い方になってしまいましたね。
でもこれからわたしは上手くなることはないでしょうし母に勝てないことが一つだけあったと思うと嬉しく思うのです。

何故なら母は還暦を過ぎた娘の傍に付きっきりで



母

アンタは膝の曲げ方があかんねん

わたし
わたし

うるせー あっち行って

それでも付いてきて


母

手の広げた方向になんたらかんたら

わたし
わたし

ついてこやんといて

こう言う会話をしながらいつまでも小さい子を扱うように娘の傍から離れないんですね。
母に勝てないことが嬉しいと言い方は変ですがいつもお姫様気質の母が誰かになにかを教える楽しみ?
それが健在でこんなことがずっと続いてくれたらいいなぁと願うのです。

独身の時には毎週行っていた雪山ですがもう1年に1回ぐらいしか行けなくなりました。
それでもこの時だけは母と娘になって親子として過ごしてくれることを感謝しています。

山頂での3人です。

ホントに良いお天気で雪も景色も最高でした。

来年も再来年も

滑り終わってホテルのバイキングに行きました。

ここは安いホテルなので豪華な食事ではありませんが出来立てを出してくれるのでわたしのお気に入りです。

入口に置いてある大きなトレーにお皿を並べてお料理を入れて席に戻るとチョコンと座ってる母。

母

お箸がないわぁ

わたし
わたし

トレーのところに山積みにあったやろ

ちゅーかさ。
お箸だけじゃなくてお水とかお茶とかお手拭きとかどーして持ってこーへんの?


そう聞くと


母

置いてるの知らんかった

自分のお料理だけをわんさか山盛りに持ってきてお箸はおろかお水もなーんも持っては来ていませんでした。
これはいつものことなので驚きもしませんが


お箸がない~ない~と騒ぐ母に

わたし
わたし

取ってきーや

母

どこにあるかわからんもん

意地悪ばっかりしてもダメですね。
元々3つ持ってきていたお箸を渡すと母は嬉しそうにしていました。

すると今度は人が持ってきたお料理が気になりだします。



母

それどこにあったん?

わたし
わたし

あっち

自分はささっとステーキを2枚も持ってきているクセに人の海老の天ぷらが気になってもうステーキどころではありません。

母

天ぷら食べたいなぁ

取ってこないと永遠にウダウダ言うので天ぷらを適当に取ってきて渡すと今度は


母

お肉が硬い

わたし
わたし

しゃーないやん あっちこっち目だけが動いて食べてないねんから

毎回言うけど食べれる量を取って来い

んでもって人が取ってきたお料理を眺めるよりもまず自分の取ってきたものを食べなさい。


大きなお皿に巻き寿司だのお稲荷さんだのあふれんばかりに取ってきて賑やかなお皿にするのはいいけど最後には苦しい苦しいと言って泣きながら食べるその習性を辞めたらいいのにとホントに思うのです。

ステーキは焼いたものが置いてありますがひらめいたわたしはレアでお願いしますと新たに焼いてもらうことにしました。

お箸でも切れる柔らかいお肉….


わたし
わたし

うっふっふーおいちーわ

すると横に座ってる母の視線を感じました。


母

お姉ちゃんのお肉なんでそんなに柔らかそうなん

わたし
わたし

置いてあるのは固いやん

しまった….
余計なことを言ってしまった。



もう母の頭の中はエビの天ぷらなんてすっかり忘却の彼方に飛んで行ってしまい

母

お肉食べたいな

わたし
わたし

目の前の2枚を先に食べ―や

でもぉぉ…
でもぉぉ…
お姉ちゃんのお肉が食べたい。


わたし
わたし

きぃぃぃぃ~~っ

そしてまたステーキの場所に行ってレアをお願いし母の前に置いてあげるのです。


こんなことをもう30年以上しています。


機嫌のいい母を見るのは嬉しいものですが

また苦しい苦しいと言いながら詰め込むのは辞めて欲しいと思いました。



ボンがいない

毎年必ずいたボンが今年は行きませんでした。
お腹が大きいマミちゃんを置いていけるはずもなくジジババ3人での初スノボです。


翌朝。
ホテルの窓から景色を見ていた母がつぶやいた一言。



母

ボンがいないと静かやな….

わたし
わたし

チビも産まれるし来年は5人やで

母

来年これるかなぁ

わたし
わたし

何言うてるん

わたしは赤ん坊の面倒なんてみーひんで。



ママが元気でいてくれんと困るやろ….


そう言いながら二人で窓からの景色を見ていました。

子供用ゲレンデは今ではエスカレーターのようなものも出来ているんですね。


そして。
1歳になる前からボンを雪山に連れていきました。


3歳ごろからスノボを教えてもう立派に滑れるようになりました。


貴女の孫に来月赤ちゃんが産まれます。

どうかホントに体を労わっていつまでも元気でいて欲しいです。
そして父にも母の面倒をいつもみてくれてホントにありがとう。
わたしにもボンにも家族として接してくれてありがとう。





来年。
産まれた赤ちゃんを連れてまたスノボに行きたいとまた仕事に頑張りたいと思っています。

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