諸行無常

思うこと

3月と言うのは春が来て一番好きな季節と先日のブログでも言っていたんですが…

同時に別れの季節でもあり切なくなることが多いような気がします。

別れ…
その後で始まる前向きな別れとそうでない別れ。
旅立っていく別れもあり近い将来のその別れに焦る日々で

今しておかないと…

うん。

今しておかないとってその時が来た時に自分の悲しみを受け止める器の用意を最近始めています。


家で死にたい

旦那の叔父さんが入院されたと聞いて病院にお見舞いに行ってきました。

何度も入院を繰り返していたので不謹慎ですがまたどこか具合悪くなったのかな~と言う程度で急を要するとは思っていませんでした。
ところがおばちゃんが(叔父さんの奥さん)いつもなら連絡せーへんけど今回はお父さんが呼んでくれ~と言ったそうで休みの日にボンさんと二人で病院に行くと…

生気のない顔をした叔父さんがベッドに横たわり連れて帰ってくれ 家に帰りたい 1日だけでもいいから~と何度も懇願してきてうわごとのようにそればかりをお願いしてきました。

お正月でしたか叔父さんの家に顔を出してきたのは…
その時ももうほぼ言葉を発することはなくうなずく程度で昔と違うなぁと思ってました。

年齢は多分83歳ぐらい?
わたしが叔父さんと出会ったころはまだ恰幅がよく大きな声でしゃべり今考えると当時は60代でした。
ボンさんのお父さんの弟にあたる人ですが兄弟はみんな亡くなり生きているのがその叔父さんと奥さんであるおばちゃんだけになってしまいました。

そのおばちゃんも腰の手術を何度もしており今はご夫婦で寝たきりのような生活になってしまっています。

かろうじておばちゃんが歩行器で少し動けるので叔父さんの介護をヘルパーさんとしておられた?そんな日々の中叔父さんが誤嚥性肺炎で入院されたと言うのはもう1か月も前だったそうです。

1か月も食事をとってない叔父さんはガリガリになってしまいわたし達がベッドを覗き込むと頬もこけてしまい…

うわごとのように帰りたい帰りたいと何度も訴えてこられていました。

連れて帰ってきても面倒を見る人がいません。
しかも誤嚥で入院したということは通常食が食べられない。
おばちゃんがその支度をすることは困難であり食事介助も慣れない人間がすることは難しいでしょう。
また誤嚥になってしまうことがおばちゃんもわかっておられ

お父さん無理やで~と叔父さんをなだめていました。

どうしても家に帰りたい…
それを叶えてくれるのは甥っ子であるうちの旦那だと叔父さんも思ったのでしょう。

普段連絡が来ないのに何故か来てくれ~との叔父さんからの伝言にわたし達はどうしたんやろ…と緊張して叔父さんのベッドの傍に近寄りました。

せめておかゆでも食べれたら帰れるけどな~
帰った後のことを心配する旦那は叔父さんの願いにうなずくことはなく病院におる方が安心やろ?
そう言うと叔父さんは死んでもいいから1日だけでもいいからと何度もそればかりをつぶやいていました。

帰りの車の中での夫婦の会話は


わたし
わたし

アンタならどーしたい?

ボンさん
ボンさん

俺も帰りたいって言うやろな

それで命を縮めることになっても?
そう聞くと

ボンさん
ボンさん

家で死にたいと思うんちゃうか

そうなんです。
施設の利用者さんも男性は家に帰りたいとよく言いだします。
反対に女性の利用者さんはほとんど家に帰りたいとは言いません。
その理由ってどうしてなんでしょうね。

わたしが思うに…
男性は家に帰って横になってるだけでも落ち着くんだろうと思いますが自分の面倒は誰かが見てくれる。
そう思っているのではないかと思います。
おばあちゃん達は面倒を見る側なので自分の体が動かなくなると人様に迷惑がかかる?それを無意識にわかっているのかどうか家に帰っても誰もいない…そして医療も食事も提供してもらえる施設にいた方がって思うのではないでしょうか。

ホントにここだけは男性と女性の口に出す言葉の違いが感じることが多いです。

死んでもいいから家に帰りたいと言う叔父さんはその後1週間程度で家に帰れるようになり

あれだけ帰りたい帰りたいと熱望していた叔父さんに良かったですねと心の中で思いました。

近い将来

先日。
ボンとゴルフをすることになって名古屋の両親がゴルフの帰りに我が家に泊まることになりました。

ボンがどーしてもじいちゃんとゴルフをしたい…
そう言いだしてじいちゃんばぁちゃんとのゴルフをして…

名古屋在住の両親がゴルフのために滋賀県に行って大阪まで両親は来たわけですがスノボ旅行の時に二人が亡くなった時の後のことを聞いておかなくてはならない実際の形にするために泊まった翌日の朝。
出した朝ご飯の時に聞き出しますと…

それを父も身内の方に連絡を取ったりお寺様に聞いたりと答えを出してくれました。

連絡先さえ知らないわたしに弟さんに電話をしたそうでもしも亡くなったらこうするああすると言う相談をしたそうでした。

わたし
わたし

ならわたしはもう何もせんでいいねんな


もしかしてわたしがするべきことが発生するかもしれません。
でもとりあえず身内に相談をして亡くなったとしたら~の話し合いをしたそうなのでちょっと安心?

そして母のこともその時はこーしたらああしたらといざとなった時のことを父は考えてくれてました。


そのうちに…
そうなったら…

誰しもがそのうちにそうなったらの結論を朧げながら言いますがホントに人間いつそうなるかなんてわかりません。

年齢は確実に迫ってきます。

それは?
そう願っている訳ではなくてもしかしてそうなったらどーしたらいいん?

経験のないことが起きるであろうことを推測すると慌てることがわかるので今のうちにと思ってしまうのです。

こういった事柄は

わたしの年齢にも関係するんでしょう。
今までは遠いことだと思っていたのが親の年齢が80代。
こっちは60代。

子育てが終わってやっと楽ちんになれる…
それが束の間で今度は親を見送る…そして自分の終末も考える年になってきたんでしょうね。

夏にも来てくれましたが今度はボンとゴルフを楽しんだ両親は


ひ孫にも会ってもらい嬉しい夜の宴会になりました。


翌朝。

具体的にそうなった場合まずはどーしたらいいん?
そんな暗い話をしながらでも避けて通れない話。

連絡の取れない妹のことなども一緒に母と近い将来のことなども希望を聞き出しておきました。


カウントダウン

3月は忙しい月でした。

その忙しさになんだか嬉しくもありめんどくさくもあり…
年を取るとみな暇になって余計なことも考えだして毎日がうつうつを過ぎてしまうような気がします。

だけど忙しいということはある意味幸せなことでもあり


やることがまだある….


そのやることをこなしてちゃんと綺麗にしておきたい。
わたしはそう思います。

終活ですね。

いなくなる人間が後のことを考えずに勝手に死ぬことだけは避けたいので今のうちにやれることはしておきたい。


カウントダウンが始まったような気がしてこの1年は一人息子に伝えなければならないことを書き出しておこうと思いました。




ユスラウメ

病気になって寝たきりの叔父さん。
まだまだ元気ですが年を取っていく両親。
そして自分もそんな年になったんやな~と感じる日々。

今年の春分の日はそれらを想いながら草むしりとお墓参りに行ってまいりました。

ボンは変わらず雑草の根っこをひたすら抜きながら

ボン
ボン

今回一番の大物や

わたし
わたし

なっがっっ

ボン
ボン

ドヤっ

しょうもない戦いに笑いながら空を見上げると

曇りでしたがところどころに見えた青。

また今回も家族で草むしりに行けたことを喜びそして…

残していってはいけないものと残していかなければならないものの選別を日々コツコツとしていこう。
そう誓ったお彼岸になりました。

春は実父が植えていったお花が咲く季節でもあります。


実父のことは普段の日々の中では忘れていても春になりこうしてユスラウメが咲くと思い出すことがありわたしもボンの心の中に1年に1度でも思い出してもらえるようなものがなにかないかな~と探しました。

わたしが死ぬまでには思いつきたいです。

春は…

色々なことを想い悩む季節なのかもしれません。



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