コウモリ食べたら

日常

喉がイガイガする….

くしゃみが止まらない….
そのくしゃみをすると喉の奥がヒリヒリする…

あ~風邪かも。


いやちょっと待って。
職場のお姉様方がほぼ全員熱出してるし…


もしやこれは….



コロナの検査には誰もいかない?

噂の新しいコロナに罹ってしまいました。

ワイドショーでしていたのはカミソリ飲んだ位痛い~と聞いていましたがそこまで痛くもありません。
朝起きるとちょっと喉痛いなぁ~とその位でしかも30分ぐらいするとピタっと痛みがなくなる。
熱もないし体がしんどいわけでもありませんでした。

これが4日位続いていて昨日の朝。
30分経っても痛みが続いていたのでささっとロキソニンを飲んでみるとこれまたピタっと止まる痛み。

そんな中で仕事に行ってまいりました昨日のこと。

職場に到着するとシフト上会ってなかったお姉様が昨日は熱が出ていてしんどかった~とのことでした。

ん?
んんん?

もうこれで4人目。

しかも勤務じゃなかったお姉様が誰それさんの代わりに出勤されていてその休まれた方は熱が出てお休みだそうな…

んじゃこれで5人目。


ん?んんん?


これはおかしいと思った昨日の夜。
仮眠時間に鼻水がダラダラ出て来てまた喉も痛くなってきてくしゃみをすると喉の奥がヒリヒリして思ったことは



わたし
わたし

まさかコロナに感染してるんじゃ

間違いありません。
だけど検査薬なんてここにはないし家に帰ったらしてみよう~と朝を迎えました。


帰宅して仮眠しての午後。
家にある簡易検査薬でしてみると陽性に….

あ~
日曜だけど探して検査行かねば~と本日の朝行ってきました。

そして休まないといけないのでサ責(責任者)に連絡を入れてみますとお姉様達も熱が出ているのに出勤をし…
なのに誰も検査に行かない。
熱がある程度下がってるし動けてるんでしょう。

コロナを舐めていますが利用者さんにうつると一体どうなるのかとか考えてない。
おー怖

しかし人が少ないうちの施設ではみんな休んでしまうと成り立たないのでしょうがないことなのかもしれません。




あいつが日本に入って来たとき

初めてコロナが日本に入ってきたときは大変でしたよね。
もう話題の全てがコロナコロナになっていて感染した人が出た県では犯人捜しが横行し会社を特定されたとかで退職されたとかもうお気の毒なことが一杯でした。

2020年だったそうです。
つまり6年前。

もう6年前のことなんて思い出せません。
一体何してたんだろう~と過去を調べてみますと




わたし
わたし

あ~そうだったそうだった

ホントに日本中がコロナで大変だったことを思い出しました。


マスクの品切れや緊急事態発令?不要不急の外出自粛?
それと一番心が痛かったのが高校野球の春夏中止でした。

あんなに頑張ってきたのに中止なんて…
どれだけ高校球児が悔しかったかを手に取るようにわかってコロナを憎んだりもしました。

親しいご近所さんも亡くなったり手に入らないマスクを探し求めてあちこちウロウロしたりあれが6年前なんですね。



コロナが流行りだしていた時の会話も思い出しました。


ご近所のおばちゃんとの会話。



ご近所のおばちゃん
ご近所のおばちゃん

コウモリ食べたから発生したらしいで

わたし
わたし

どうしてコウモリなんて食べたんでしょうね

ご近所のおばちゃん
ご近所のおばちゃん

お腹空いとったんちゃうか

わたし
わたし

4000年も歴史があるのに他に食べ物あるはずですよね

ご近所のおばちゃん
ご近所のおばちゃん

せやせや 他のもん食べたら良かってん

コロナはコウモリから発生したとテレビでやっていたので大阪のおばちゃんはコウモリ食べたらコロナに感染すると頑なに信じていた頃でもあります。


そして職場に行くと



職場のおばちゃん
職場のおばちゃん

なんでコロナが生まれたか知ってるか?

わたし
わたし

コウモリ食べたからですよね

職場のおばちゃん
職場のおばちゃん

せやせや コウモリ食べたからコロナが生まれたんや

もうそればっかりの日々でした。




そしてゴミ捨ての時。
奥の方に住んでおられるおばちゃんが




ご近所のおばちゃん
ご近所のおばちゃん

コウモリ食べたらあかんで

わたし
わたし

食べませんよ コウモリとか

ちぅーか。
コウモリがスーパーに売ってるんですか?

ご近所のおばちゃん
ご近所のおばちゃん

コウモリ食べたらコロナが生まれるねんで

いやいや。
生まれると言うか充満してるし。
もはやわたしがコウモリを食べようが食べなかろうが世界中にいるし…


こんな呆れた会話をした覚えがありました。



あの時代を一体どうやって乗り切ってきたのか…


強烈な出来事としてマスクが1箱¥8000だったとかアルコールのスプレーが1本1万円だったとか….
他になにがあったか思い出すことは難しいですがみんなで乗り切ってきた2020年。


死に目に会えない

思い出すとあの頃は感染防止とかで入院してもお見舞いも禁止でしたよね。
しかも亡くなる時も傍にはいけない。
入院している家族の面会もガラス越しで見ることしか出来ない時でもありました。

亡くなったら今度は火葬場にもいけない。
お骨になった家族を抱いて帰る….

そんな辛いこともたくさんあったはず。


しばらく死を引きずったのは斜め前のおっちゃんが亡くなった時でした。
ご家族さんはコロナを否定していましたが状況からすると多分コロナで亡くなったんでしょう。
お見舞いもダメで亡くなったと聞いても病院から直行で火葬場に行かれたそうでした。


お葬式もないおっちゃんの死。
わたしはそのおっちゃんに大変親切にしてもらっていたので会えなかった死を数年引きずっていました。

斜め前の家。
外に止めてあるおっちゃんのモスグリーンの軽を見るたびに治療頑張ってるかなぁ~と思ってました。
それが亡くなってから随分経ってからその死を聞いてまるで自分の父親が亡くなったような気持ちになり…お墓参りだけでも行かせて欲しいとご家族さんにお願いして近所のお墓に手を合わせてに行ったことも思い出しました。


入院中の顔だけでも見れていれば…
お葬式でも行けて顔が見れていたら…

死は受け入れることも出来たでしょうがある日いきなり入院をしてそのままの死。

数年はホンマにおっちゃんって亡くなったんやろかと信じられない思いでした。

当時よく読んでいた本の中に火葬場の責任者へのインタビューにあった言葉で


「ご遺体が生前の姿を留めている限り 観念のレベルでは死を認識出来ても心の奥低では承認し難い部分があるかと思います。火葬が終り自らの手で遺骨を骨壺に入れる行為で死の受容が一段落します」


とあるように….やっぱり亡くなったことをこの目で見ないとその死って信じられないんですよね。


おっちゃんのモスグリーンの車は数か月置いていましたがそのうちに無くなってしまいました。
そしてわたしも空を見上げておっちゃんからしてもらった数々の親切にお礼を言いながら


天国でもパチンコ行ってるんやろな~と思うようにしています。


時々。
コロナで亡くなった方々のことを想いしていたあつもりの中でのお墓参り。

あれからもう6年なんですね。


さて夜になって….
熱が出ない体質だったわたしは高熱が出てしまい久しぶりに解熱剤を飲んで一晩うなるように寝てしました。

ふふふふふ。


わたしだけが検査に行って陽性だったので当分お休みを頂けることになりました(やったー

ボス狩り三昧の日々が…
いやなんでもありません失礼しました。




本日のおまけ

飽きてきました。

はい飽きてきました。

サラダにもおひたしにもしましたよ。
卵炒めも作りました。


どれくらい収穫できるのか確認中ですが5回は育っています。

一番多く作るのがこちらの




豆苗の豚肉さん巻き巻きですが

使わないといけない罪悪感に苛まれてもうげっそりしてきました。


また違う食べ物を栽培してみようと思っています。

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