バタバタ電話をかけておられました。
それをただ見守るしか出来なかった時間。
息を止めて天井を見てもそこにいることはないのに探すように天井のあちこちを見回していました。
たった今その魂はどこにあるんだろうなぁ。
まだ病院の自分が寝ているベッドの傍?
それとも住んでいたこの施設の自分の部屋にもう帰ってきてるんやろか。
会いたがっていたお友達の家に?
幼いころご両親と住んでいたおうちとか。
仏教では49日の間。
行き先を決めるための裁判を7日7日されると言われているそうです。
裁判…
怖…
たった今亡くなったのにまずは長い人生にお疲れ様でしたと言ってあげてもいいのではないかと思ってしまいました。
仏教怖いな..
裁判なんて。
そうやん。
あれだけカラオケに行きたいと言っていたしフジタさんがやっと楽になってお友達の魂とカラオケに行けたらいいなぁ。
そうして電話を切ってこちらに体を向けたサ責(責任者)が亡くなったそうやで~とわたしに言う前に話していた電話の内容でフジタさんが旅立ったことはわかっていたのでその魂の行方を考えていました。
反省
介護施設で働いていると利用者さんが亡くなることは多いです。
高齢ですしなにかしらの病気の最後には誤嚥性肺炎で亡くなることが一番多いような印象です。
去年の秋からもう随分と利用者さんが亡くなっていきその方々の最後も全て誤嚥性肺炎でした。
看取り可となっている施設も多いですしうちの施設も看取り対応となっているので最後は施設でお亡くなりになるのを入る時から決まっています。
しかし大体の場合は容体が悪くなると病院に搬送されてその病院で亡くなることが多くて実際施設で亡くなると言うことはまずないと思います。
わたしの介護経験の中も利用者さんはほとんど病院で亡くなっており傍で利用者さんが亡くなるのを見たことがありませんでした。
シフトの都合で出勤すると誰それさんが3日前にお亡くなりになったらしい…
それを文章または口で聞いてそうなんや….と受け止めるしかありません。
悲しいと言う感情や寂しいと言う想いは慣れてしまうとそんなに湧き出るものではなくただ茫然とそうなんですか…と。
ちゃんとしてあげれてたかな。
して欲しいと要求していたことを振り返ってしまいます。
そしてその亡くなった利用者さんとの関わりがどれだけあったかでそれは違ってくるものだと思いますが介護施設で働き始めた当初は家に帰るとシクシクと泣いていた記憶があります。
今ではもうそれもない。
あ~亡くなったんだとしか思えない。
だけど少しの関わりの中でしてあげれていたかどうかの反省だけは忘れないようにしています。
昨晩は夜勤でした。
一人夜勤のわたしはルーティーンが終りラウンド(オムツ交換)が一旦落ち着くと事務所でダラダラしています。
人それぞれなようで食堂の大きなテレビでYouTubeを見ているとか衛生放送で映画を見ているとか夜勤さんの自由ですがわたしは事務所のデスクに私物をばら撒き午後ティーだのお菓子だのを大量に置いてタブレットで音楽を聴きながらスマホでゲームをしてダラ~っとくつろいでいます。
左側にモニターがあり1階や2階が写されているのでそれをチラ見しながらぼぉ~っとしていると玄関のセンサーが鳴りました。
オートロックのドアが開くと鳴るその音はちょっとビビる音でそれが鳴って慌ててサ責が入ってくるのが見えました。
どうしよう。
デスク上はこんなに散らかしている…
滅多にそんなことがないので慌ててしまい隠す時間もなくサ責が事務所のドアをコンコンとするので開けるしかありませんでした。

どうされました?

フジタさんの服取りにきてん
入院されているフジタさんの服を取りに来たと言うサ責でしたがこんな時間に?
すると

もうあかんらしい
もうあかんと言うのはそろそろ死期が近づいていると言う意味でしたが慌ただしく服を掴み袋に入れてすぐ出て行こうとされるところに容体の悪い利用者さんが二人いたのでその方々のバイタルと酸素のことを報告しつつ気になるデスクの上のガラクタになにか言われるのではとビクビクしていました。
そしてフジタさんがそろそろあかん…
近い時間にお亡くなりになるであろう…
滅多にない状況でした。
サ責はデスク上のピクニック状態なんぞ一目もおかずフジタさんの病院にまた戻られるそうでそれを見送って急いで事務所に戻り私物をリュックに入れるとまた鳴るセンサー。
1分もせずに戻ってこられたのでそれにもびっくりして見ていると今度は事務所の電話であちこちに電話を始めました。
施設のオーナー?
葬儀屋さん?
ナースのリーダー?
こちらも呆然と立ったままそれを見ています。聞いています。
全ての電話をかけ終わった後に最後にかけた電話はフジタさんの妹さんでした。

んじゃ火葬の日程が決まっても知らせなくていいんですね
内容は推測でしかありませんがきっと火葬をするときに妹さんに連絡を入れるかどうかで知らせなくていいんですねと言う以上妹さんは火葬には立ち合わないんだろうなぁと。
そしてやっとサ責がわたしにさっき戻って来た時にはまだ息をしていたけどたったの今亡くなったそうやで~と伝えてきました。
それ以上は何かを聞ける雰囲気ではありません。
勇気を振り絞って聞いた一つのこと。

フジタさんってこの後どうされるんですか?
お聞きすると葬儀屋さんがお迎えに行き火葬が決まるまで冷蔵庫で保管をし日程が空き次第火葬をする。
ご遺骨は葬儀屋さんか市の福祉の方が無縁さんをお受けしてくれるお寺さんに持って行く。
それ以上聞けることが出来ませんでした。
お葬式は?お坊さんは?
きっとそれらもないであろうとわかっていましたがフジタさんは一人で旅立って最後も一人で火葬される。
これなぁ….
どうしようもない脱力感でただただ天井を見上げることしか出来ないわたし。
ご家族さんは誰もフジタさんの最後にもいなかった。
そして火葬も誰も付き添わない。
わたしの人生ではなかったことが他の人では平然とあるんや…
その気持ちはなんでしょうね。
悲しいわけじゃなくて寂しいわけでもない。
どう言う表現をしたらいいのかわかりませんが脱力感しか残りませんでした。
お彼岸
夜勤の前の日。
お彼岸で恒例の草むしりとお墓参りに行ってきました。
お盆からの約1か月後の草むしりだったのでそんなに雑草も生えてなく….

ボンはちゃんと根っこから抜いていました。


次来た時には本気だす

またかいな ちゃんとやれや
マミちゃんが上だけ雑草を抜くとブチブチ音が出ますよね~と言うので下から抜いている風に誤魔化しながら

どーせ根っこから抜いてもまた生えてくるやん
そう言うと

上だけ抜くと次来た時に悲惨やろ
あ~はいはい。
ホントに最近はうるさくなってきました。
小学生の頃にはわたしに言われてきたのを今ではボンの方がちゃんとやれーと言っています。
それが嬉しくもあり有難くもあり大人になったな~と感じさせてくれるひと時でした。
ご先祖様に手を合わせて

そしてもう一つの方のお墓は大量の草が茂っておりそちらはボンが草刈り機で狩ってくれて

わたし達は雲に見守られながら

お彼岸の草むしりとご先祖様へ手を合わせることが出来ました。
見上げた空の雲はホントに綺麗で

あ~
綺麗やな~
雲の流れに感動をしこれて良かった。
みんなでこれて良かった。
当たり前じゃない。
そう思いながらやっぱり神様に感謝をしてしまいました。
帰宅後。
起きて来たボンさんはわたし達の草むしりにはまったく労いもなく興味もなく早速うーちゃんを抱っこして

ただ喜んでいただけでした。
そして夜には予約をしていた食事に行き


秋のある日の夜でした。
そうそう。
この日の焼肉では境界線はありません。

家族なので境界線を引く必要はないですもんね。
家族を大事にしていたら
夜勤が明けて朝。
お姉様方が出勤されてきました。
わたしから言うのはなんとなく違うような気がしたのでわたしはフジタさんのことは言いませんでした。
そこにサ責が出勤をしてきて昨晩フジタさんが亡くなったと報告をし….
お姉様方それぞれがフジタさんてこうやったな~ああやったな~と思い出話を始めました。
おられた期間は大変短くてどれくらいうちの施設におられていたんでしょう。
1年弱?
以前のブログにも書きましたが入られることが決まって職員全員での反対活動やら署名してオーナーに出そうかなんて話ももう過ぎ去った話です。
容体が悪くなり入院されて奇跡的に回復をして戻ってこられたのがまだ先月でした。
戻ることは出来ないであろうとナースさんが言っておられたのに戻ってこれたのでわたしはあの晩内緒で好きだったコーヒー牛乳をフジタさんに飲ませてあげたことを覚えています。
そして戻ってこれて良かったなぁ~ちゃんと元気になって良かった良かったとフジタさんに言うと笑ってくださり….
またオムツ交換の時に歌を歌ってくださいました。
最後に顔を見た夜勤明けの朝。先週のことでした。
帰る身支度も終わりフジタさんの居室のドアから手を振ると手を振ってくれたあの顔。
そんな話をお姉様方としていて….
身寄りが誰もいないと聞いていましたが妹さんがいたんですねそう言うと

いても火葬にもこーへんのやろ?

そうらしいですね
最後ぐらい付き添ってあげたらいいのに….
誰に言うでもなくつぶやくとお姉様達は
自分がそう言う行いをしてきた結果や
わかっています。
長い人生どういった生き方をされてきたのかはわかりませんが最後に誰も立ち会うことのない人生の終末。
わたしが働いてきた介護施設ではほとんどがこんな感じでした。
ちゃんとご家族さんがおられちょいちょい面会や差し入れがある利用者さんはわずかな人達でした。
それはその施設に入る状況の違いかもしれませんがたまたまわたしが働いてきた施設だけがそうであったのかと言うとそうでもなく….
生活保護で入所される利用者さんのほとんどがご家族さんとの接触もなく生きてこられたんだろうなと思う現状でした。
生きてる間にご家族さんとの付き合いがないってそんなに多いん?
ホントに不思議でわたしの子供時代を思い出すとおばあちゃんは母が見ていたしご近所友達のおばあちゃんおじいちゃんもその家族が面倒を見ている。
それが当たり前だと思っていたのにこうして介護施設で働いてみるとご家族さんが誰もいない人達の多さにびっくりしてしまいます。
いやいたとしても利用者さんご自身が高齢なので亡くなってしまっているのかもしれません。
それにしてもお子さんとか兄弟とか親戚とか誰かいないんだろうか…
いつもいつも疑問に思いこの朝もお姉様達に

最後の時が一人って悲しいことですよね
そしてまた同じことを言われてしまいます。
生きて来た結果がこうやねんで。
ちゃんとしてきたら誰かがいてくれるはず。
んじゃ一人で亡くなっていかれる方はちゃんとしてこなかったってことですか?
ちゃんとしてこなかったって。
どこがちゃんとしてきたかどれはちゃんとしてこなかったって。
それはその人の人生を否定するような気がしてわたしには言えません。
だけど繰り返しお姉様達が言う言葉に
家族を大事にしてきたら最後は一人で旅立たんやろ。
何も言い返すことが出来なくて呆然とするばかりでした。
先日亡くなったツジイさんの時もご家族さんは1回も面会にくることはありませんでした。
お子さんが3人もいたのに。です。
その前亡くなった方々もご家族さんらしき人が来たことはありません。
無力感。
脱力感。
それしかなくちゃんとしてこなかった人生ってそんな大層な….
見本のような人生ってなんやろな。
でも一つだけわかることがありました。
それは。
家族を大事にしてこれたかどうか。
家族を大事に….
遺言らしきもの ボンへの私信
この年になると最近終活を考えています。
死んだあとのことなんてもう知りません。
みんな元気で頑張ってくれたらいいなぁと思っています。
ただ、ガラクタだけは処分しておかないとと焦ります。
ガラクタ…
物持ちがいいのかどうかわかりませんが10代の頃の日記帳が2階の奥の部屋の天袋の段ボールに入っています。
どうしてもその段ボールだけは先に処分しなくては….
わたしが死んだ後にはボンが処分してくれるはずのこの家ですが服だのぬいぐるみだのはごめんなさい。
まとめて業者さんにでも依頼して捨ててください。ブランド物は売ってお金にしてください。
貴金属はマミちゃんにあげてください。
そしてお父さんのこと。
わたしが生きていればお父さんの最後は見届けられますがもしも先にわたしが死んだときに残されたお父さんは一人では生きていけない人なので施設に入れたとしても最後は….
最後は一人で逝かせないでください。
何も願うことはないけどお父さんを一人にしないでください。
これだけを心の底からボンに頼みます。
マミちゃんとうーちゃんを大事にしてボンが亡くなる時にも一人ではないような人生を送ってください。
母からのお願いです。
お墓から見あげた空。

また次も来れたら..
家族で来れたらいいなぁと思います。
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