夕陽の中での誓い

ボンさん

大阪には二つの大きな街…繁華街があります。
それぞれミナミと梅田と言う言い方をしますが人によっては難波とキタと言う場合も…

難波周辺には心斎橋やら道頓堀がそして戎橋などをみんなミナミと言い…
キタと言うと梅田があり大阪駅や北新地 中ノ島や梅田駅相称してキタと言うことが多いです。

よく阪神が優勝した時に飛び込む川があるのが戎橋で小さな橋の上に何百人もいて大騒ぎするのもミナミですね。

わたしは20代の前半から結婚をする時までそのミナミの街にずっといて自分の部屋…借りていたマンションに帰るのは寝るときだけの生活をしていました。

なにが楽しくてミナミにいたんだろう..
今思い出してもそれはわかりません。

愛知県から出てきて事情があり和歌山に住んでいたわたしは和歌山から出ることになったときに東京か大阪どっちにいこうかな~と実に安易に考えました。

東京は遠い…
和歌山から近いし大阪もいいんじゃないかしらん。

簡単に荷物を詰めて高速に乗り着いた大阪。
そこからもう40年近く大阪に住んでいます。

そして住んでいた場所から気軽に遊びに行けるのがミナミ。
若かったわたしはなにも考えずに毎日毎晩ミナミで過ごしていました。

一体何を考えていたんだろう…
どう思い出しても自分が何故あてのない行動をしていたのが思い出せません。

年齢は多分22歳かそこら。

あの頃の自分が今と別人のようで笑えるような懐かしい気持ちになったりそしてどんだけふらふらしてたんやろ~って恥ずかしい想い。
でも当時のわたしはそんな人間でした。

なにも考えてない。
ただ行きたい場所に行ってしたいことをしてる。

若気の至りと言う言葉がありますが後悔はしていません。
あちこちふらふらしながら生きていたわたしはきっとその時はそんな人間だったんでしょうから。

今はちょっとはまともな大人になっていると思いますがこれもあれも子育てをしてきたことで養ったんでしょうね。
子供と言う存在にはホントに感謝しています。

そしてたまに思うことがあるんですね。
朝 洗濯物を干すために物干しにあがり空を見上げると…


なんで大阪に住んでいるんだろうなぁって。


出会い

主人である旦那….
ボンさんと出会ったのもミナミでした。

大学を卒業して次の専門学校に行くと決まっていた3月。

真面目な大学生が年上の遊び人だったわたしと知り合って人生が変わってしまいました。
それが悪いことだったとかどうかはさておき曳かれたレールにそのまま乗るはずだったボンさんは出会ってしまった女と一緒にいるために専門学校への入学も放置して実家をでてしまったのです。

逃避行。
実家のご両親はさぞかし驚いたでしょう。
探そうにも携帯もない時代でした。

専門学校への入学金も授業料も支払い後は無事にその学校を出たらその方面の就職をするはず。

親戚の人達もそうです。
本家の長男であったボンさんには皆さん期待をされていたでしょう。

それが入学まであとわずかと言う時に家出をしてしまった息子に嘆き悲しみ怒りと心配。

当時はそんなことさえ想像もせずに二人っきりの世界のようにもう二人だけで生きていこう…

ドラマのように燃え上がってしまった二人。
十代の家出ならともかくもう大人なのに先のことなどなにも考えずにいや考えることを避けてウィークリーマンションを借りて生活を始めました。

心斎橋から難波方面に行く出口の上に走ってる阪神高速の下。
千日前通りと言う道での信号待ち。
夕方の夕陽はとっても赤くて運転をしているボンさんの横顔にその夕陽の光が強く照らしていたあの日。


わたしの為になにもかも捨ててしまった旦那を当時は彼氏と言うことになりますが

あ~幸せにしないといけないな。

あの時何故かそう想いました。
それからの約40年。

幸せにしてあげれていますか?

居場所は変わる

家出をしたボンさんは紆余曲折しながら結局色々な事情もあり実家に帰りました。
二人で暮らしていた数年は尾崎豊の歌詞のように落ち葉に埋もれた空き箱のような生活でなにも先が見えませんでした。

見ようとしていないわたしと見るために実家に帰ったボンさんとの付き合いはそれからも続き今に至ります。

専門的な大学を出てその後に行かなければならない専門学校もあの女のせいで…
きっとご両親はそう思っていたでしょう。
だからわたしとの付き合いが十年を過ぎても結婚なんてとんでもないと反対されていました。

わたしはと言えばそんなこともなにも考えずにただミナミで遊ぶことしか考えていませんでした。

どこまで浮かれポンチなのか…年を取ってしまった今では恥ずかしくもありますがホントになにも考えて生きていなかったなぁと思っています。


そしてそのままずっと続くと思っていた生活がある時一転して結婚出産になるわけですがあれだけ反対していたご両親がそろそろ連れてきたら~と言い出した時と偶然わたしの妊娠がわかり生活が真逆に変わっていくのでした。


ミナミ…

寝てる時間よりも長くいた場所。

行きたいと思うこともなく行く機会もなくあれだけ毎日いたわたしの居場所?
そんな場所に先日行ってきました。

居場所だと思っていたミナミはかつてそうであってももう田んぼと山に囲まれた今の家がわたしの居場所となっています。
どんな風に変わっているんだろうな…

懐かしい想いと40数年前のわたし達。

約束の時間の少し前に着くようにして街を歩きたかった…
場違いな二人はそれさえも笑いおっさんとおばちゃんになった今をさらに笑いながら歩いていきました。



赤いちゃんちゃんこ

先日。
息子夫婦がボンさんの還暦祝いをしてくれました。

場所を決める時に


ボン
ボン

オトンの行きたいとこって?

わたし
わたし

あ~あそこ一択やろな

何かあるとそこで記念のお食事会をしていた西心斎橋のお店。

ご両親の時やそしてボンの何かの節目やらそのお店でご飯を食べてきたことを思い出し予約を取りました。

そして例のごとく



わたし
わたし

還暦ってことでなにかサービスありますか?

支配人
支配人

赤いちゃんちゃんこと写真のサービスがございます

わたし
わたし

お願いします~

当日までどこに行くかを内緒にして車を走らせた懐かしい西心斎橋。


ボンさん
ボンさん

お。久しぶりやな~

ちょっとびっくりしていたボンさん。




マミちゃんがちゃんと写真を撮ってくれていたのでお店の入り口の風景を貰いました。

お部屋に案内されて待ちに待ったうーちゃんを抱っこして




お料理よりもうーちゃんに会えた喜びで笑顔のボンさん。


その後続いて出てくるお料理とお酒を飲みながらおめでとう~と乾杯をし….
ボンとマミちゃんホントにありがとう~とさらに言いながら節目をお祝いしてくれて感謝しました。

もう60歳ですか。
毎日頑張って働いてくれてるボンさんの還暦ですもんちゃんとしてあげないといけませんよね。


そしてあの日の夕陽を思い出しながら…

幸せにしてあげないといけないな。
この想いは多分実行されてはいない日々ですが息子が産まれ育てた月日やこうして結婚して孫が産まれて家族としての形ですでに幸せなんじゃないかと思っています。

幸せなん?
そう問いかけることはありませんでしたが息子夫婦と孫とのご飯。

こんな時間が時々あれば幸せでしょう。

そして。
赤いちゃんちゃんこを着て写真も撮ってもらいました。


還暦とは…
お借りした文章の中にあった言葉で


干支が一巡して再び同じ干支になることから、「生まれ直し」という意味も持ち、人生の第二のスタートとして捉えられています。


生まれ直し…
人生の第二のスタート。


ずっとわたしとボンを養っていくのに費やしてきた時間をこれからは自分の体を大切にして第二の人生を送って欲しいと切に思いました。


わたし達が出会ったミナミ。
そこからの始まりでしたがまた機会があれば行きましょう。
行く時は夕方にしてまたあの日の夕陽を思い出し幸せにしてあげれてるかな~と感じるために。

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