四十九日にバイバイ

日常

今日は前から約束をしていた息子夫婦のおうちに孫を見に行ってきました。

マミちゃんが実家から帰ってきてうーちゃんとの3人の生活が始まりこちらの休みも一致したのでいそいそとお出かけです。

そしてご飯もご馳走してくれると言うことで有難くお受けしてお邪魔したわけですが行く前にボンさんに口が酸っぱくなるぐらい言い聞かせていたいくつかのこと。

お嫁さんはまだ実家から帰ってきて数日です。

ホントなら横になってのんびりさせてあげないといけない時期なのにお邪魔をすることで疲れさせてはいけないこと。
早めに行って早めに帰宅すること。
うーちゃんの服を買ってやりたいと言うボンさんに自分の好みを押しつけないこと。
赤ちゃんの服ってどうしても母親の好みで着せるからマミちゃんの選んだものを買ってあげること。


これらのことを何度も何度もボンさんに言い聞かせて行く日を楽しみにしていました。


アプリのおかげかもう孫にメロメロなボンさん。
毎日ウザいくらいにうーちゃんうーちゃんと言ってアプリを眺めていたので気持ちはわかります。
ただ 息子だけなら遠慮もいりませんがなんと言ってももう結婚した身です。
お嫁さんに嫌がられたら2度と孫なんて抱っこさせてもらわれへんでーと脅しをかけておきました。


↑のことを確認すると

早めに行って早めに帰宅すること。


ボンさん
ボンさん

早めにってそんなこと言うならもういかん

わたし
わたし

長居したらあかんってことやん

ボンさん
ボンさん

息子の家行ってどんだけおってもかまへんやんけ

わたし
わたし

所帯持った以上息子と言えど相手がおるってことやん

はぁ….
何を言っても通じません。
息子の家であってもお嫁さんと家庭を営んでるんやで。
そううるさいぐらい繰り返してもどっか頭の中の回線が違うんでしょうね。

ボンさんの描いてる図は息子の家行ってどんちゃん騒ぎをしたいんでしょう。



アホか

前から何度も言ってるやん….

お嫁さんがしんどい想いをしないようにって。


いくらそう言っても

ボンさん
ボンさん

俺の時にはオヤジはしょっちゅう来てたやん

わたし
わたし

アンタはただ座ってるだけやん

ご飯の支度から接待からなにから何までなーんもせーへんアンタにはしんどさがわからんねん。

この会話はいつまで経っても平行線です。


お姑さんとは

昭和の時代ならともかく今は令和です。

時代も違うし育った環境も違うでしょう。
昔の嫁は~などと言っているとなにそれと笑われてしまうと思っています。

わたしは元々自分がされて嫌だったことは絶対にしないと決めていましたし息子が大事だからこそお嫁さんを優先して大事にしてあげなくては~といつも心がけているつもりです。

媚びへつらうつもりはまったくありません。
孫を抱かせてもらうために我慢をしなくてはならない?
そんなこともしたくはありませんしお互いイーブンの関係でありたい。

息子の家庭は息子のものですしこちらの家庭はわたしと旦那が暮らしている。
そこに孫がどうの息子がどうのと一緒くたにしてはいけないと思っています。
ただいつか年取ってきて自分のことが出来なくなった時に息子にお世話になる時がくるかもしれません。
その時にお嫁さんにも迷惑がかかることを想像して嫌われる存在ではありたくない。

そう考えるとお嫁さんと自分との関係を良好にはしておきたいなぁといつも思っています。


わたしのお姑さんは…


旦那のお父さんの再婚相手だったので旦那とは血の繋がりはありませんでした。
しかも大きくなってからの再婚なので継母と言う感じではなくオヤジの嫁はんって言う割り切った関係でした。

いくつだったんでしょう。
もう覚えていませんが遊び人だったお義父さんがほぼ寝たきりになってここに…
今わたし達が暮らしてる家に二人で住んでいました。

田んぼと山しかないこんな田舎に…
ソファーに横たわるお義父さんとの二人の生活はさぞかし退屈だったと思います。

そんな時に長男が結婚した。
そして赤ちゃんが産まれた。

小さな子供が好きだった義母はホントにボンを可愛がってくれました。


おばあちゃん子だったボンは夜になるとばぁちゃんばぁちゃんとよく泣いてました。
わたしはボンが3歳ぐらいになるまでは自分の子が可愛いと思えず…

いや表現が難しいです。
可愛くないと言う感じではなくて誰かの大切なものを預かってる。
ケガをさせてはいけないと言われ病気にさせてはいけないと言われ怒ってはいけないと言われてきました。

赤ちゃんとしての息子は小さいので可愛いものですがどこか誰かのもの…
わたしだけの赤ちゃんではなく旦那の実家が後に控えてる?監視されてる?
これもちょっと表現が難しくてうまく言えないんですがわたしだけの可愛いあかちゃーんって天真爛漫に思えずいつも緊張をしていた生活でした。

小児喘息をもっていたボンは毎晩日赤に点滴と吸入に通っていました。
なので風邪を引かせることが一番の天敵です。
異常なぐらい過保護になったのはそのせいかもしれません。

一回風邪を引くとそれから喘息の発作が出るのでヒヤヒヤしていました。

そんな時にボンさんのご両親が孫の顔を見に来る…
そしてゼェゼェしてる孫を見ると

お姑さん
お姑さん

風邪ひかせたん

わたし
わたし

そのようですね

お姑さん
お姑さん

ゼロゼロいって苦しそうやから





アンタ鼻水吸うたり

わたし
わたし

鼻水を?吸う?

お姑さん
お姑さん

そうや 鼻に口つけてすすったり

わたし
わたし

人の鼻水を吸うなんて出来ません

お姑さん
お姑さん

我が子やろ 出来るはず

何を言うてるねんこのババアは

勿論そんなことは言えるはずもなく淡々と



わたし
わたし

風邪の菌持ってる人間の鼻水なんて吸ったら



菌がわたしに移るじゃないですか。




お姑さん
お姑さん

でも我が子やで

わたし
わたし

わたしが風邪を引いたら家のことは誰がするんですか?

お姑さん
お姑さん

あ ホンマやな…

今の時代鼻水なんて吸うものじゃなく鼻吸い器などもありますし共倒れになるよりはその道具を使う方がいいと思うんですけどね。


そう言うと…なんとか納得してくれたお姑さんはその後も昭和の育児を押し付けてきました。


ホントに昭和あるあるで一体いつの時代やねんってことの連続でした。

住んでいるマンションから日赤までは自転車で30分かかります。
毎晩のように自転車の後ろの椅子に赤ん坊を毛布でぐるぐる巻きにして点滴に通う日々。
ほぼ寝れない夜。

朝にはボンさんのご飯を出して送りだすと今度は実家のご両親が来る。
そしてこれまた近くに住んでいる親戚も合体してしょっちゅうある宴会。
出産して退院したその夜から我が家をたまり場にして

繰り返される日々に….


おまえらええ加減にせーよ



わたしが令和の嫁ならとっくに逃げ出していることでしょう。


でもですね。
わたしも昭和の嫁だったんですね。
お姑さんを立てなくてはいけない。それが当たり前の年齢だったからかもしれません。

男子たるものは外でお金を稼ぎ家事や子育ては女がするもの。
これがふつーでニューファミリー?
そんなものはわたしの周りにはありませんでした。


出来ちゃった結婚の流れで急に表れたお姑さんと言う存在は異質でした。

お姑さんはある意味悪気はなく思ったことをすぐ言う人だったのでよく平気でびっくりすることを言いました。


お姑さん
お姑さん

アリエスちゃんなんて嫁にしたくなかったんやで

わたし
わたし

わたしは結婚してくれなんて頼んでませんけど

お姑さん
お姑さん

いつまで経っても結婚せーへんからしゃーなかってん

わたし
わたし

はぁ….で それがなにか?


こう書くと嫁いびりみたいに見えますよね。
しかしわたしとお姑さんの関係は良好でした。

週に3回も来て居座られても。
週に1回孫を連れて実家に来ることも。
時に夜遅くまで飲んだくれてごろ寝して朝を迎えても….
マンションからボンを無断で連れ帰っても。

その根底には


孫を可愛がってもらいたい。


この1念だけでした。
そしてなんと言っても無償の愛情を注いでくれていたお姑さん。
色々なことに苦痛を感じながらもこれだけ可愛がってくれてはるんやから我慢しないと…

恋バナをしたりお義父さんの過去の悪事や飲みながらお姑さんとはたくさん話をして仲良くしていたと思っています。

ホントにボンを可愛がってくれたお姑さん。
4歳まででしたっけ。
あの時代はありがとうございました。



気がつくといなくなってた

お義父さんがお亡くなりになり一人で不安だと言うお姑さんが同居をしたいと言いだしました。

一人で不安…
しょっちゅう市内に住んでいる兄弟の家に飲みに出かけてるのに不安….

変な疑問を持ちながらもお姑さんが同居したいと言い出した時とボンさんの商売が上手くいかなくなった時とは同時期でいきなり実家に帰るぞーと言い出すボンさん。

わたしは抵抗しましたがそれはお姑さんとの同居が嫌だったわけではなく田舎に引っ越すのが嫌だったのでわたしらのマンションに来てもらえばいいやんと提案をしましたが家賃がいらない….
ただこれだけの理由で実家に帰ると言い出したボンさん。

嫁と姑の関係などなにも興味もなく収入が減ったので実家に帰る。
実に安易な思い付きでお姑さんと同居するために実家に帰ることになりました。


お義父さんがお亡くなりになりお葬式から四十九日までの間。
ほとんどわたし達のマンションで過ごしていたお姑さん。

わたし達の引っ越しの手続きとボンの幼稚園の転園に走り回っているとある夜お姑さんがビジョンを語りだしました。


お姑さん
お姑さん

うちな~やっと自由になれたしこれからは

行きたいとこ行ってしたいことしてのんびりしたいねん。

そう言うお姑さんに

わたし
わたし

何言ってるんですか


わたしは仕事に出ないといけないのでお義母さんは家事と育児をして貰わなければ….



生活出来ませんよ

お姑さんは驚いた顔をして無言になりました。
何かを思いついたんでしょう。

たったの一か月半の間に今実家にある家具の処分やらわたし達の荷物の為の引っ越しの手続きで忙しくバタバタしていたわたしはお姑さんの計画にはまったく気がつきませんでした。


そしてやってきた四十九日。

親戚の人達も集まりこれからどうしていくのかお義父さんが残した財産はどうするのかそんな話合いがあったと記憶しています。

なんだかんだ都合のいいことを言いながらお義父さんの子供達3人にハンコをつかせて書類を握りしめたお姑さん。

わたしは近いうちに始まるであろう同居に向けて実家の中の片付けで頭が一杯。
ボンはおばあちゃんおばあちゃんとお姑さんにまとわりついていましした。



わたし
わたし

良かったな~これからおばあちゃんが毎日家におるんやで

新しい場所での生活の不安もお姑さんがいたらきっとなんとかなる。
なによりもボンの面倒も見てもらってわたしも働かないと….

おばあちゃん子のボンの笑顔を想像して笑っていました。


そして。
四十九日が終ったその晩。

お義父さんの全財産をカバンに詰めてお義父さんの高級車に乗って….



お姑さんはいなくなりました。

ボンを可愛がってくれたのは

息子夫婦を見ているとホントに羨ましくなります。
お嫁さんに気を使う息子。
お嫁さんのご両親とも良好な関係で可愛がっていただいています。
お嫁さんの方も息子を立ててくれています。

こうしてお互いの立場を尊重して今赤ちゃんが産まれて二人で助け合って生活をしている姿…

マミちゃんが賢いのでボンのうだうだを適当に流してくれています。
そしてわたし達夫婦にも産まれた孫を可愛がって欲しいと言う想いは伝わってくるので良い関係が築いていけると思っています。

つかず離れずの距離感でお互いの領域に入っていかなければ嫁姑問題なんて発生しないでしょう。

良い姑になれるかどうかはわかりません。
昔じゃあるまいし〇〇家の嫁とかそんなものは何もありません。
昔からの風習であるご先祖様へのお墓参りと草むしりだけしてくれたら嬉しいです。
それも嫌だったらしなくてもいいと思っています。

ご先祖様も大事ですが今生きてる人間の方が大事。

これは前から思っていることなのでどうぞご自由に…


ボンの家族3人が仲良く幸せに暮らしてくれたらもう後はなんでもいいです。
そしてたまに昨日みたいに集まってご飯を食べる機会があればいいかなぁと願っています。


さて。

四十九日の夜にこの家から姿を消したお姑さんですが居場所はわかっていました。
でも…
連絡を取ることはありませんでした。

わたしは


わたし
わたし

老後を一人で暮らすとか無理って言ってたのに….



キレイさっぱり身の回りのものを持っていなくなったお姑さん。


あれから22年経ちました。
貴女があんなに可愛がってくれてた孫は結婚して赤ちゃんも産まれましたよ。
入学式や成人式にも1度も連絡をくれなかったお義母さん。

お姑さんがボンボンと言って可愛がってくれていたのはホントに可愛かったからじゃなくて田舎での単調な生活に…
年寄り二人っきりの暇な毎日に…

ただ嫌だったんだろうなと….



わたしは生きてる限り自分の孫の行く末を見ることが出来ますね。
それだけでも幸せだと思っています。



お義母さん。貴女は今幸せですか?

わたし達の家族であったならばこうして…

産まれた赤ちゃんを抱っこしながら



微笑むことも出来たのに。



生きているのか亡くなっているのかはわかりませんが家族であり続けることの大事さをわからないまま年を取っていかれてるんだろうなと思います。



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