枯れないパキラ

思うこと

あ~ぼぉぼぉしてるとあっと言う間に2月になってしまいましたね。

時間の速さについていけずに日々確かに忙しいのもありますが1日を振り返るとその日に何をしたかとか考える間もなく時間は過ぎていってしまいます。

あ~明日はハゲの病院の後に買い物行って市に出す粗大ゴミ準備して車に積み込んで….
ゴミを出しに行った後は慌ててご飯の準備だの洗濯物入れたりお風呂入ったりと主婦ってみんなこんな感じでバタバタしているのでしょう。
自分だけが忙しいわけじゃないみんな頑張ってる…

おじいちゃんのような神様に….

わたし
わたし

わたしとみんなに時間をたくさんください

お願いばかりしているのでそのうちにええ加減にせーよって言われそうですが神様にお願いするのは辞められそうにありません。



決まらないランチ

ゆうこ
ゆうこ

な~ランチ何時にする?

わたし
わたし

あ~そやな~

お互いに忙しいのでランチに行く日にちも中々決まらず

わたし
わたし

次のシフト出たらまた言うな

ゆうこ
ゆうこ

はーいわかった~

こうしてまた月日が流れて↑↑のやり取りが繰り返されます。

たまーに?


ゆうこ
ゆうこ

今何キロ?

わたし
わたし

60越した

ゆうこ
ゆうこ

いいやん

何がいいん。
60キロ越したってデブしか言いようがないやん。
そう言いながら

わたし
わたし

何がいいねんな そっちは?

ゆうこ
ゆうこ

あれから減ってへん

どうせかりんとうやらカントリーマアム食べまくってんのやろ。
そう言うと

ゆうこ
ゆうこ

最近サラダ食べてる

わたし
わたし

はいはい(流

と、まぁ同じ会話を何年も続けてる友人がいます。
中身はなんの意味もなく時々のLINEのやり取りだけで住んでる場所が少し遠いので滅多に会うことが出来ません。

ゆうこはお互いの子供が同じ幼稚園に入った関係で友達になった人です。

最初はですね。
それはそれはキレイだったんですよね。
スラリと背が高く茶色の髪の毛がサラサラでウェストなんてびっくりするぐらい細くて…
モデルさんかな?と言うぐらい。
顔はちょっとハーフみたいな感じでいるだけで目立つお母さんでした。

幼稚園ママと言ってもそうすぐにお友達になるわけではありません。
わたしは年を取っていたので周りの若いお母さん達に気後れしてしまいそれに太ってしまっていたのでいつも一番後ろに並んで退園のご挨拶の時などは傍の木の陰に隠れていたものです。

特に接触もなく送り迎えでみなさんママ友などが出来ていきましたがわたしは息子が一番チビだったので2番目のママさんと仲良くなって朝と午後にはおしゃべりタイムをしていました。
そんなある日。
参観がありクラスの園児が輪になってお遊戯?なにかすることがあり一番チビと一番デカい子が手を繋ぐことがあったんですね。



わたし
わたし

うわっデカいっ

ショウを見た時に思わず声を出してしまいました。

そして後ろにいたゆうこに

わたし
わたし

ご飯何食べてるんですか?

ゆうこ
ゆうこ

何でも食べますね しかも大量に

いいですよね~たくさん食べる子って。
ボンが小食なこともあり羨ましくてどんなものを食べたらそんなに大きくなるんですか?
そんな会話がきっかけで仲良くなっていきました。

大阪人。2回目からはほぼタメ語となります。
お互いの年齢が違っても子供が3歳だとみんな同じママさんなので一回り違ってもタメ語となります。

そうして幼稚園では男の子のママさん女の子はそのママさんと段々とグループに分かれて仲良くなっていきました。

来る日も来る日もどこかの家で子供を遊ばせながらお茶?


いや、引かれると思いますが宅飲みをしていました🍺

ここがちょっと余談なんですが昼飲み派と夜飲み派が少し険悪になってきて

わたし
わたし

子供を旦那に預けて主婦が夜飲みに行くなんてありえへん

お昼にお酒を飲んでる昼飲み派のわたし達は夜飲み派のママさんを軽蔑した目で見ていました。
反対に夜飲み派のママさん達は昼から飲んでるわたし達を白い目で見つつそれでもクラスのママさん達とはイベントしたりなんだかんだ楽しい2年間を過ごすことが出来ました。

どっちにしても幼稚園ママの実態はこんなもんと言うことをご報告しておきますね。


似た環境

ゆうことわたしはお互いの環境もとても似ていて子供も一人っ子と言うこともありほぼ毎日のようにどっちかの家にいるかどっかの家で飲んだくれていました。

子供達が一番好きだったことは….
大阪ではだんじりが有名ですが住んでた場所もお祭りが盛大に行われています。

朝から夜の遅くまでだんじりと言う神社を車に乗せたような作りのお神輿?を地域の人達が引っ張って練り歩くその姿を子供達は憧れていました。


それについていくわたし達….

子供達にだんじりを見せてあげたい~


とは言い訳で朝からビールが飲める….
こんな最高の言い訳が通るので子供を連れて~だんじり見せてやらなあかんねん~とかお祭りの日々は足を棒にしてだんじりについていくのです。

酔っぱらってこけたりニラのキムチを買い汚い手でそのキムチを口に入れてビールを飲みながら歩く…

お祭りだけではなく今時の服を教えてもらい買いに行ったりプールに行ったり公園で子供を遊ばせながらやはりビール飲んでいたり…


いつもいつも笑ってばかりでこんな日常がずっと続くと思ってました。

発病

わたしが今の地域に移り住んでも続いていたゆうことの仲..。
何故か馬が合うと言うのでしょうか、離れ離れになっても遊びに来てくれたりこっちも行ったりとそれぞれの子供の成長を相談しあったりそんな時間が数年経ちました。

小学校の4年生ぐらいでしたでしょうか。

東京に用事があり帰り道の高速で運転してるとゆうこからメールが届きました。

ゆうこ
ゆうこ

ずっと言われへんかったけど….

あたしウツ病で病院通ってるねん

わたし
わたし

はぁ~?

次のサービスエリアで慌てて電話をかけると泣いてばかりで何も言わないゆうこに

わたし
わたし

なになん ウツ病って

知ってますよ名前は。
だけどいきなりウツ病で病院通ってると言うそのことにびっくりと言うより

わたし
わたし

なんで黙ってたん

病気のことよりもそんな大事なことを黙ってることに腹が立ち責めるわたしでした。


一体いつから?
それはどうしてそうなったん?
それって大変なこと?
それって治るん?
ウツ病になるとどうなるん。

どっかで知った知識で

やる気が起きないとか死にたくなるとかネガティブなことしか知りませんでした。

責め立てて質問するわたしにゆうこはただ泣くばかりで….


深夜のサービスエリアのパーキングで


わたし
わたし

そんな病気 わたしが治したるから

簡単に。そして安易に言ってしまいそこから大変な日々が始まりました。
高速を運転しながら泣けて泣けてどうしたらいいんだろう….

なんの知識もありませんでした。


壮絶な日々

思い出せば少し昔から電車に乗るのが怖いとか胸がドキドキするとか言い出していました。
それをへー病院いきやぐらいで軽く流してしまってました。

本人も何故そうなったかわからない日々だったそうです。

失礼ながら悩みなんて抱えてはいませんでした。
それはわたしが一番よく知っていましたがもしかして?

わたし
わたし

なぁなぁ悩みとかあったん?

ゆうこ
ゆうこ

ないで

よくある嫁姑問題とかチラホラありましたが翌日には忘れてしまう性格なので姑じゃない。
もしかして旦那?
それもよくある夫婦ケンカぐらいでそんな気に病むことはありませんでした。

友達となんかあった?
ご近所さんと揉めた?
ショウの育児?

本人もわたしにも思い当たることがなくひたすらどうしてそんな病気になってしまったんだろう。
そればかり突き詰めてみてもなにもありませんでした。

わたしはと言えばネットでウツ病のことをしつこいぐらい調べても理由がわかりません。
原因がわからない…
これは一体どうしたらいいんだろう。
来る日も来る日もウツ病のことでこちらも悶々とした日々を過ごしていました。


段々と症状が悪化していきゆうこも廃人のようになってしまったんですね。
目はうつろで体の動きものろくなりろれつも回らなくなってしまいました。
お薬の影響もあったんでしょうね。生きていないぐらい覇気もなくなって会いに行くと遠くを見つめてこちらの姿が目に入っていないような….

そしてある日。
精神病院に入院することになってしまいました。

その病院に面会に行くと通された場所は2重に鍵がかけられているところでした。
それにもショックでしたが広いフロアーに20~30人ぐらいの人がいてみなさんそれぞれボ~っとしておられました。

わたしはそこにいるのがちょっと怖くなってしまいここにいる人ってみんな精神の病気なんだろうかとすごく不安になったのを覚えています。

ゆうこがナースさんに連れられてそのフロアーに来ました。

病院はかなり高さのある建物で我が家に近いこともあり全面ガラス張りの窓からは山々が見えています。
二人共言葉はなく手を握り合ってその山々を見つめながらただ涙を流していました。

そして

あの山の麓にうちが見えるで~と言うとそうなんや…と。




わたし
わたし

いつ来るん

ゆうこ
ゆうこ

いけるかなぁ…

わたし
わたし

来れるに決まってるやん


そうしてひたすら泣くことしか出来ませんでした。


退院はしてもそこからが壮絶でした。
病院のお薬のせい?病気のせい?どっちなのかはわかりませんでしたが毎日死にたいと電話がかかってくるのです。
しかも朝早くから夜遅くまで。

死にたいねん死にたいねんとつぶやくゆうこにしばらくは励ましたり宥めたり….泣き出すので車を飛ばしたりもしました。
ショウを預かったり旦那さんと相談したりの日々でわたしも気持ちがもう限界だったのです。

毎日の電話に恐怖を感じながらもある日。
幼稚園時代のママ友から電話があり言われたのは


ママ友
ママ友

ゆうこにキツいこと言ったらしいやん

病気のことは聞いたけどそんな病気の時にキツいこと言うのは辞めたりーや。


わたし
わたし

はぁ~….


ゆうこの病気はすぐ治るわけではありません。
何度も励まして何度も話を聞いてがんばれと言ってはいけないとネットにも書いてありました。
がんばれと言ってはいけないのなら何を言えばいいのでしょうか。

毎日かかってくる電話。
こっちも仕事や家事育児で精いっぱいでした。
ひたすら自分のことだけを言ってくるその電話に

わたし
わたし

死にたい死にたいって黙って死にーや

ゆうこ
ゆうこ

あたしの気持ちなんてわからんねん

わかるかいな。
死にたい死にたいって…

それって


わたし
わたし

ヒマヒマ病ちゃうん

ヒマやからそんなことばっかり考えるねん。
忙しかったら死んでる場合ちゃう。
仕事せーへんかったら生活成り立たんし専業主婦のヒマヒマ病でそうなるんやで。
わたしだってホントに泣きたいことばっかりあるし一体誰にこれを相談したらいいん。
ゆうこはわたしにそれ言えるけどわたしの気持ちは誰が受け止めてくれるん?

それをゆうこはママ友に言ったんでしょうね。
キツいこと言われたって。

事情を説明するとママ友はそれはしんどいな~とわかってくれましたがわたしはもうゆうこと….距離を置こうと思いました。

本人は昨日しゃべった内容も覚えてはいません。

今でもわたしはあの時のゆうこへの対応は間違ってはいないと思っています。
いや間違っていたのかもしれません。
ただ…ああ言うしかなかった。これが本音です。
何故ならわたしも限界だったのです。
ああ言って拒絶しないと我が家もおかしくなっていたかもしれません。

ゆうこのご家族さんもホントに大変だったと思います。

自分の命を断とうとしてる人間が家庭の中にいる….
どれだけウツ病と言うものが周りにも迷惑をかけるか….
そして本人がどれだけ辛いのかをわかりたくてもわからない。

もがいてもがいて毎日の試行錯誤の中で大事な友達がいなくなってしまう恐怖と受け止められない自分への自己嫌悪の日々でした。

葉をむしり取っても

わたしが引っ越しをする時にゆうこが小さなパキラを持ってきてくれました。
その辺の道端で売ってるとっても小さなパキラ。

高さが5~6センチのその小さなパキラを貰う時に一瞬ゆうこの目が潤んでるのを見ました。

わたし
わたし

引っ越し祝いもうちょいいいもんくれへんの?

ゆうこ
ゆうこ

そっちに行ったらなんか買うたるわ

それからお互いに電話やメールの日々になりましたがいつもいつも言う言葉が

ゆうこ
ゆうこ

幼稚園時代が一番楽しかった

わたし
わたし

ホンマホンマ

楽しかったなぁ…
でもこれからも楽しいことはあるはずやで。

そう言うと

ゆうこ
ゆうこ

あるかなぁ

病気も一進一退しましたが最近ではとても元気に過ごしています。
壮絶だった戦いも本人がある程度焦らずこんなもんなんや~と割り切って調子の悪い時には無理をせず?
過ごして行くことで日常はなんとなくやれているそうです。


ネガティブな話になると….

わたし
わたし

ヒマやからそんなこと考えるねん

日々忙しくしとき。


こう言いながら電話を切ってそれでも心配でLINEでスタンプを送ると帰ってくる明るいスタンプにホッとしながらたまーに貰ったパキラの写メを見せています。


わたし
わたし

まだ枯れへんねん

ゆうこ
ゆうこ

しぶといな

わたし
わたし

そやねん 葉をな….

ゆうこに酷いことを言った時に葉っぱをむしりとって丸裸にしてしまうパキラ。
泣きながら茎をハサミで切ってしまったりもしました。
枯れるやろ~と思ったパキラ。お水をほとんどあげなくても生きてる不思議なパキラ。



22年も我が家のキッチンの同じ場所で元気に生きています。

辛い日々を乗り越えてきたゆうこは偉いと思います
きっと大丈夫。
ボンの赤ちゃんも見せないといけませんしショウの赤ちゃんも見ることが楽しみです。

今ゆうこに言いたいのは…
許可を貰ってブログに書きましたけど

あんなに辛い日々を過ごしてきたんだからこれから何があっても大丈夫。
こっちに来てくれたら和食さとのソフトクリーム食べ放題に連れてってあげるから…

がんばらずにがんばろうな

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