治したいものは色々

ボン

7年の学生生活を終えてボンが就職をしたとお話したと思います。

ホントは就職をせずにバイトを掛け持ちして治療家になりたい~と
ボンが言い出した時には親としては一回就職して欲しいなぁと思ってました。

けれど本人がそう思ってるならしたいようにしたらいい。
だって自分の人生なんだしやりたいことをせずに後悔するより
やりたいことをする方がいい。
そして失敗したりして経験値積んで豊な人生を歩んで欲しい。

なので
反対もせずにへーそうなんやと見守っていました。

すると専門学校の卒業が近くなるにつれて
就職の方向に転換をすると言い出しました。

これこれこんな条件だしこれこれこんな感じだから就職する~と言いだしたのです。

ああ~良かった。
なんとなくホッとしたのを覚えています。
一度ちゃんと就職をして会社員を経験して欲しかった…

そこからの未来は自分で考えたらいい。
そう思いながら卒業を迎え4月が始まりました。

将来なりたい職業

中学2年頃でしたでしょうか。
行ってた接骨院の先生と雑談してると学生は格安で見ますよ~とのことで
息子を連れて行ったのが始まりでした。

おきまりのローラーに乗って軽く電気をあてて
実際のマッサージ?揉むのは10分程度のよくある接骨院です。
支払いも忘れましたが300円?400円ぐらいでちょっと凝ってるなぁで通う接骨院。
こっちも治そうなんて思ってません。

軽い気持ちで行っていた接骨院でしたが
息子にしてみれば自分でも気が付かないぐらい体が凝っていたんでしょうね。
先生の優しい口調と施術に魅了されて帰りの車の中での宣言は



ボン
ボン

俺 将来あの仕事したい

わたし
わたし

接骨院の先生に?

父親のボンさんは腰の手術をしており接骨院、カイロ、整体ともうあちこち行きまくっていました。
いいと聞けば遠くの県まで行ったし悪化して入院したりホントに腰の痛みには悩まされてきました。

なのでわたしも少々知識があり現在の接骨院業界の今後の見通しはよくない….
通うのはともかく経営するとなるとちょっとなぁと思ってました。

それでもボンは初めて行った接骨院に感動して
絶対に柔道整復師になる。そう決めた瞬間でした。


うわ~きっとこれから高校行ったり成長の段階で違う道に考えなおしてくれたらいいのになぁと
ひそかに思ってました。

それでも柔道整復師になるためにはどういう道を進めばいいのかを調べると
医療大学に行って国家試験を受けるor専門学校に行って国家試験を受ける。
この2択です。

柔道整復師になるにはそれでもいい。
だけど人生経験として大学には行って欲しい。
たくさんの人と出会ったり柔整師だけではない世界も見て欲しい。
遊んだり旅行行ったり勉強ばかりの高校生活だったので若者らしくはちゃけて欲しい。

そう思ったわたしは大学にいけいけと言い続けました。

本人は高校を卒業したら専門学校に行きたい。
そう言いましたがなんせ有名大学に行くのが当たり前の高校でした。
専門学校に行くなんて言ったら担任が2度と口なんて聞いてくれません。

どの道が正解なのかは誰にもわかりません。
ただ、男性は学校を卒業したら一生働かないといけません。
勉強と野球しかしてない息子。

大学に行って遊んで欲しいなぁと期待を込めて
医療大学をあちこち調べていました。


座学は無意味?


無事に大学に合格をし
初めての電車通学にワクワクしていた息子でした。

小さな大学ですがなりたい職業の為の大学。
どんな授業を受けてこれからどうなるんだろうな~と毎日送りだす日々。

ある日。
帰ってきて言う言葉が

ボン
ボン

あれはあかん

わたし
わたし

なにがあかんの?

ボン
ボン

俺もみんなも気がついた



なにが?
なにがあかんの?

そう聞くと
柔整師にはやれる範囲があってボンの目指していたものとは違うものだったのです。


ボン
ボン

骨折したらどうする?

わたし
わたし

病院行く

ボン
ボン

そやろ 病院いくやろ

人間どこかケガをしたり悪くなったときはまず病院ですよね。
リハビリなどケガの回復の時に接骨院には行くかもですが
現在の接骨院では治そうと言う院は少ないと思います。

流れ作業で患者さんを回して保険請求で利益をあげる?
失礼ながらそんなところが多いのではないかと思います。

そんなことを大学に入ってすぐに気がついたボンと周りの子供達は
これではやりたいことと違う….
そう感じた生徒さんは何人かがすぐ辞めたいったそうです。

しかも講義も80才ぐらいのおじいちゃんがマイクを持って



ボソボソボソ…..

と念仏をあげている授業ばかりで
やる気のある先生はホントに少ないそうでした。


生理学 解剖学 運動学 柔道整復学 病理学 整形外科学その他もろもろ
たくさんの座学を講義を受けながら段々とやる気がなくなってきたようです。

座学が全く意味のないものだとは思いません。
色んな知識を得ることは必要ですし基礎もわかってなくて患者さんに施術をするのは危険です。
ただ頭に得る知識よりも実践?
実際に体を触って学ぶことその数が必要だとボンも思ったようでした。

大学に通い続けながらも迷い悩んでそれでも辞める強い意志も持てないまま4回生まで進みました。


さらに3年

地獄のような卒業試験も無事に受かり国家試験も終わってみんなが就職に向けての活動を始めるようになりました。

ボンが大学に入った時に卒業したら系列の専門学校に行き鍼灸も取ったらどうなん?と勧めたことがあります。
でも本人は


ボン
ボン

もう勉強すんの嫌や


そうでしょうね…
ずっと勉強勉強でしたしね。
でも柔整師に納得出来てないなら鍼灸もカイロプラクティックだのもありますし
中学の時に志したこと。


ボン
ボン

患者さんを治したいねん

その気持ちが揺らいでることが手に取るようにわかっていたので無理に専門学校への進学を勧めることが出来ませんでした。

子供と言うのは親の言うことよりも尊敬している他人の言うことに耳を傾ける傾向があります。
卒業したら…
どこかの接骨院に就職をして流れ作業で患者さんを診る…
それに疑問を持っていた息子が就職活動もギリギリのある日。

系列の専門行く

わたし
わたし

決めたんならそうし~

やっぱり突き詰めたくなったんですね。
柔整師だけでは出来ない範囲の鍼灸に行きたいと言い出しました。

どんな方向でも本人がしたいと言うことを応援するのが親だと思っていたわたしは

わたし
わたし

願書間に合うん?

小さな大学なので担任制となっていました。
慌てて担任の先生に連絡をしたり専門に進学する書類を集め始めると成績の良かったボンは推薦で専門に行けることになり

わたし
わたし

受験せんでいいなんてラッキーやん

が。



入学も決まったある日。

按摩マッサージ指圧師&ハリ師、きゅう師の3つ揃った方の学科に行きたいと言い出しました。

一旦その学科に入学が決まってる生徒なので違う学科に行くとなると一般受験になります。
すでに入学金も支払っていたのに学科を変える…
これにはあれこれ面倒な手続きもありましたが周りの方のご厚意なども色々あり無事に受験も出来るようになりました。


目指すものは変えてもいい

3年間の専門学校も終わり就職をしました。

合計7年もの間勉強をして無事に国家試験も受かったので4つの資格を取ることが出来ました。
今はその資格を生かした会社で働いていますが先日のこと。




ボン
ボン

これこれこんなんやから辞めるかもしれん

一瞬….

わたし
わたし

アンタ何言うてるん

7年も勉強をして頑張って受かった国家試験。
その資格を使わずにどうするんって最初は思いました。

実際、ボンにそう言ってしまったのでそう思われているかもしれません。

でも…

長い人生です。
7年学校に行こうが資格をたくさん取ろうがそれは通過点でありしたいことが見つかればそれに向かうことも悪いことではないと思うのです。

自分の人生を振り返ると目指すものなんてなかった…
目標なんてなかった。
将来のことなんて考えて生きてこなかった自分が人に偉そうに言えることなんてありません。

お母さん俺将来あの仕事がしたい。
そう言った息子は有言実行でした。

尊敬しています。

高校の野球部時代に周りのお母さん達から

部活母
部活母

ボンは偉いな 気持ちがブレてへんって


中学の頃から目指していたものをずっと進んでる。
将来なりたいものも見つからずにただ大学に行かなくてはならない?
そんな環境の部活の子供達はやらされてるだけで勉強をしてる…

その中で自分のしたいことの為に勉強を頑張る息子を部活のお母さん方からかなり褒めていただきました。

それを思い出した今日この頃。
辞めるかもしれない….

それを聞いて。
治療家を辞めたいのか違う世界に行きたいのかはわかりませんがやりたいことをしたらいいと思っています。

人生は1度きりですもんね。


今日は息子が捨てといて~と言った昔の教科書を整理していたら…


たくさんの難しそうな教科書が出てきました。

どの本の中にもアンダーラインが引いてあり覚えないといけない箇所に小さく箇条書きが書いてありました。
そして…
どのページにもたくさんの息子の学ぼうとした軌跡がありました。


一冊の分厚いルーズリーフのバインダーも見つけました。

こんなことしてたんですね。
母は毎日のご飯のことしか考えてあげられませんでした。

ちゃんと頑張ってたことを目の前に見てもう…


この子は大丈夫。


彼のこれからも何も心配はありません。

むかーし昔。
患者さんを治したいねん。
そう言った言葉がありましたが治してあげるのは体じゃなくても心だってあると思います。

すでに母であるわたしの心も息子の存在で穏やかになれました。
どんな道に進んだとしてもきっと大丈夫。
そう確信しています。

治してあげたいその気持ちは日々の色々なことに生かしてくれたらいいなぁと思います。











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